はじめに

 このブログは、現在インターネット小説サイト「駿河海軍工廠」上で連載中の小説「清算」用の設定資料集である。
 私はいま、この「清算」世界の1975年に発生したとある事件を、小説として書き起こそうと努力している。
 だが、我々とは異なる歩み方をしたこの世界は、必ずしも我々の知っている1975年ではなく、両者は非常によく似ているけれども、極めて重要な点で決定的な相違を見せることも稀ではない。
 私はこの異世界の物語を、こちらの世界に引き移して書くにあたり、我々の世界とは異なる部分、或いは同一である部分を、浮き彫りにする必要を感じた。
 このブログは、そのためである。
 読者の皆様には、ぜひともこの設定資料を足掛かりとして、拙作「清算」の世界を楽しんで頂きたい。

●小説本編
第一部
(プロローグ〜ソ連赤軍の北海道侵攻)
第二部
第三部
第四部
(戦争序盤〜中盤の頭)
 以下、続刊。

●コメント・トラックバックも歓迎しております。

2007年08月01日

情報軍


 日本共和国三軍(陸・海・情報軍)の一つ。
 第二次防衛戦争直後の1943年に作られた大本営情報保安総局をその前身とする。
 同局は参謀本部第二部謀略課、関東軍情報部、ハルピン特務機関、及び軍令部第三部が合併して誕生し、陸海軍の垣根を越えた独自の司令系統を有した。

 国内の防諜体制確立と、情報管理の一元化がその建前だが、実際には海外での能動的諜報活動も行うスパイ組織である。
 それは「情報軍」となった現在でも変わっておらず、特に中華人民共和国や満州共和国といった東アジア諸国での活動が著しい。


 満州事変やフィリピン内戦で暗躍した特務機関の出身者によって組織されたため、情報軍総司令部は時折政府の指示を守らず、勝手に行動を起こすことで知られている。
 また、過激な破壊工作の総本山として有名であり、新京中国大使館爆破事件、モンゴルクーデター未遂事件などの反共テロを頻繁に起こして、共産圏との共存路線を取る政府を危機に陥れることもしばしばである。

 情報軍が起こした事件の中で特に際立っているのは、1962年に起こった高麗航空機撃墜事件で、このとき情報軍は東西開戦を狙い、故意に誤ったレーダー情報を岩国基地に伝え、公海上を飛行中だった北朝鮮のTu-75を撃墜させた。
 折りしも世界はキューバ危機のさなかにあり、この日本の行動によって、東西の全面核戦争は秒読み段階に入ったといわれる。


 情報軍は工作員だけでなく、高高度戦略偵察機「星雲」を保有・運用している。
 星雲は独自開発機ということになっているが、外見はそのままアメリカのU-2であり、日本海に事故で不時着したものを接収し、模倣した。
 搭載するカメラの質がよくないため、撮影時には高度を落とす必要があるが、運用実績は良好である。
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posted by 早池峰山 at 23:29| Comment(37) | TrackBack(5) | 組織 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月30日

終わりなき権力争い


 1950年代初頭。日本では帝国崩壊と共和制移行の混乱により、権力の空白状態が長い間続いた。
 共和国建国直後は、求心力のある指導者の不在により、群雄割拠する状態だったが、やがて大きな三つの派閥が鼎立する状態となった。
 それらはいずれも帝国時代以来の強力な発言力を残す旧軍閥で構成され、陸軍閥、海軍閥、大本営情報保安総局(のち日本情報軍に昇格)の遺臣たちからなっていた。
 結局この戦いに勝利を収めたのは、第二次防衛戦争後、発言力を飛躍的に高めていた海軍閥だった。
 1955年、既に海相と軍令部総長を兼任し、海軍内を束ねていた山本満海軍大将の内閣組織が決議され、可決された。以後、「55年体制」と呼ばれる山本内閣の実質的な開発独裁が始まり、反対派を次々と粛清することで、山本は国内をひとつに纏め、日本国内の重工業路線への転換・経済復興などの政策を成功させた。


 山本首相の下、中央政府は求心力を取り戻し、一時は日本はひとつに纏め上げられた。
 しかし1960年代初頭に山本が高齢のため政界から退くと、その後継内閣は抵抗勢力の反発に晒され、更に支持母体の海軍からも原子力空母の建造問題を巡って対立した。
 中央政府の強い指導力を軸として改革を進めてきた55年体制は終わり、日本国内は再び幾つもの閥に分裂した。
posted by 早池峰山 at 17:23| Comment(1) | TrackBack(0) | 日本共和国の国内事情 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月18日

マーシャル沖海戦


 1942年4月5日から7日にかけてマーシャル諸島沖で行われた海戦。
 日米海軍がその総力を挙げて戦ったため、あわせて戦艦34隻、空母18隻が参加。その他巡洋艦・駆逐艦を含めると戦闘艦艇だけで180隻に達し、未曾有の大海戦に発展した。
 著しい損害が両軍に発生し、戦艦20隻、空母14隻が沈没。生き残った艦も損傷が酷く、両軍が渡洋侵攻能力を同時に失ったことで、早期講和への道が開かれた。

 両軍とも、このような大損害を蒙ることは想像しておらず(そうなる前にどちらかが撤退すると思っていた)、この戦いがなぜ長期化し、結果として破滅的規模の大海戦に発展したのかについては諸説がある。
 現在では第一の原因として、5日に行われた航空戦で「瑞鶴」搭載機が米軍タンカーを空母と間違えて攻撃・撃沈したことが注目されている。
 この結果、米軍艦隊は早期に決着をつける方針に作戦を転換し、それが却って戦いの泥沼化を招いた、という説である。


 1962年、この海戦を扱った日米合作映画「The Longest Day」(邦題「史上最大の海戦」)が公開され、当時日米が置かれていた立場と双方の誤解、疑心暗鬼を、公平な視点から浮き彫りにしたことで、特に日本では記録的大ヒットとなった。

 日米海軍が競演した最も大規模な作品でもあり、日本側からは戦艦「大和」空母「瑞鶴」が、アメリカ側からは戦艦「ミズーリ」と空母「ヨークタウン」(二代目)が撮影に参加した。
(このとき撮影に使用された零戦六四型、天山一二型は、海軍千歳航空隊で当時現役の機材であった。この仕事を最後に、千歳空はジェット機装備部隊に転換した)
posted by 早池峰山 at 11:40| Comment(6) | TrackBack(0) | 戦史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月16日

略年表(1945〜1952)

1945年:
 中国の内戦が共産党の勝利で終結。
 国民党は日本に亡命し、中華人民共和国が建国された。
 アメリカ・ネヴァダ州で人類最初の原爆実験。
1946年:
 この頃から満州問題が俄かに注目されだす。
 中国はソ連の支援を受けて軍備を整えつつ、満州併合を狙ってさかんな活動を行う。
1947年:
 7月、第二次盧溝橋事件が発生。事件を契機として人民解放軍が大挙国境を越え、満州戦争が勃発。
 日本は満州側に立って参戦し、ソ連は義勇空軍で中国を支援した。
 日本軍は持久作戦と遅滞戦術で時間を稼ぎ、首都新京では凄絶な市街戦に発展。
 この新京での勝利によって日本は本土から増援を得、膠着状態となる。
1948年:
 奉天を包囲する中国軍と日本の解囲部隊が激戦を繰り返す。
 12月、日本解囲軍の総攻撃と渤海上陸作戦が始まる。
 中国軍は奉天の包囲を解き撤退。一年半に渡る激しい攻防戦の結果、奉天は瓦礫と化し、跡形もなく破壊された。
1949年:
 国連からアメリカ主導で休戦会議開催が呼びかけられる。
 中ソは当初これを無視したが、アメリカが満州国を独立国家として承認すると、米軍の介入から東西全面戦争に繋がることを恐れたソ連が会議開催に賛成し、停戦が成立した。
 満州国は存続を保ったが、日本の既得権益は戦争で破壊され、また、アメリカ、ソ連、中国が満州国に経済的に歩み寄ると、日本の影響力は薄れてしまった。
 9月、ソ連で最初の原爆実験。
 
1950年:
 戦時中に発注した軍需物資の代金支払いと取り付け騒ぎにより、ハイパーインフレーション(日本通貨危機)が起こる。
 物価は前年の80倍に跳ね上がり、企業倒産、銀行の閉鎖、富裕層の海外脱出が相次いだ。
1951年:
 日本国内のインフレが更に深刻化。政府は預金封鎖と新円切替で打開を図ったが効果はなく、政府の求心力は失墜した。
 8月。帝国政府は突如解体し、「建国臨時政府」が発足する。
 臨時政府は「大日本帝国が完全に消滅した」ことを宣言し、新政府と帝国政府はまったく関係のない存在であると発表した。事実上の債務返済不履行宣言である。
 帝国崩壊に伴い、朝鮮・台湾が独立。
1952年:
 1月。新憲法が施行され、日本共和国の建国が宣言された。
posted by 早池峰山 at 01:05| Comment(2) | TrackBack(1) | 略年表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月15日

日本共和国(国家)

 1952年の共和国憲法施行により誕生した日本の新政府。「戦後日本」とも呼ばれる。
 大日本帝国の血統を直接に受け継ぎ、国内随所に帝国時代の面影を濃厚に残す。
 最大の相違点は天皇家の扱いであり、「共和国」とある通り共和制を布いた戦後日本では、天皇家は政治とは隔絶されて、祭事に専念する存在となった。


 帝国崩壊の端緒を開いた通貨危機と、それに続く対外債務の返済不履行宣言で、国際的信用は地に落ちている。
 現在、共和国は唯一の輸出品目である軽火器の売り込みで復活を図っているが、成果は芳しくない。最大の輸出相手国はインドネシアで、ほかにフィリピン、台湾、タイなどがある。
 莫大な貿易赤字に苦しんでおり、国庫は窮乏。高速道路建設はおろか、国道の舗装状態も戦前から殆ど変わっていない。
 大都市と郊外の落差が激しく、地方では明治時代からまったく変化のない土地も多い。
posted by 早池峰山 at 04:48| Comment(4) | TrackBack(0) | 組織 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月12日

原子力空母「朱雀」(日)

「朱雀」は1961年の新空母調達計画で建造が開始された日本初の原子力空母である。
 1942年の第二次防衛戦争、それに続く満州戦争、そして10年後の帝国崩壊と共和制移行による混乱で、一時期存立の危機にさえ立たされた日本であったが、山本満総理大臣が掲げた改革政策(事実上の開発独裁体制であり、のちに「55年体制」と呼ばれる)の成功により、日本経済は60年代初頭には戦前の水準まで復帰しつつあった。
 この景気回復を受けて、日本海軍は1961年、かねてからの宿願であった原子力空母の建造計画を提出した。
 当時、日本海軍は既に空母「瑞鶴」を保有していたが、これは戦前に完成した旧式空母であり、ジェット機の運用も不可能で、「烈風」「流星改」などの第二次大戦型レシプロ機の発着が出来るのみであった。
 折りしも米国では世界初の原子力空母「エンタープライズ」(CVN-65)が就役したばかりであり、「今後、主要な海軍艦艇はすべて原子力艦となる」という風潮が高まっていた時期でもあって、建造計画は承認された。


 艦政本部が計画した原子力空母(当時は61号計画艦と呼ばれた)の要目は、基準排水量九万トン、満載排水量では十万トンに迫るという巨大空母であり、先述の「エンタープライズ」を超える大きさである。
 これは護衛艦艇の不足を補うため、重武装・重防御を施したことにその一因があり、また、空母建造に二十年間のブランクがあることも影響している。
「朱雀」は全体的に無駄の多い設計であり、それが排水量の異常な増大に繋がった。
「艦のあらゆる箇所は、可能な限り国産によって建造すること」
 という海軍の要求が、これをさらに助長させ、1968年に就役した本艦は、防水扉が閉まらない、国産発電機の故障が続出で頻繁に停電するなど、常識では考えられないような不具合を数多く内包していた。
 特に主機である国産原子炉は酷く、またまともな原子炉担当士官もいなかったため、「朱雀」は就役三日目で放射線漏れを起こしたのをはじめ、その後も頻繁に原子炉の事故で立ち往生し、母港の佐世保では「厄介丸」と呼ばれ恐れられた。


 1975年現在。日本海軍の原子力空母「朱雀」は、ベトナム沖海域において、国際貢献の名の下、北爆に従事している。
 固定翼機80機を運用可能とされている空母「朱雀」であるが、海軍消息筋の信頼のおける話によれば、「朱雀」の実際の搭載機数は、その定数を大きく割れこみ、稼動機は半分の40機に満たないという。
「朱雀」の実情については、その情報の大部分が厚い軍事機密のベールに覆われ、容易には捉えがたいが、その実力を海軍の言のまま鵜呑みにするのは危険である。
 本艦にまつわるこれらの事実は、いずれも海軍の一点豪華主義が生んだ弊害であり、「不沈空母」という幻想の産物が生み出したものである。私は海軍のこの姿勢に対して、警鐘を鳴らしたい。

(「現代の艦船」1975年2月号より引用。発禁となったこの号が改めて公開されたのは、1991年のことである)


suzaku.gifラフスケッチ。外見は未完に終わった大鳳型空母にすこし似ている。
posted by 早池峰山 at 23:44| Comment(2) | TrackBack(0) | メカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本海軍

 日本周辺の海防を司る海軍。
 かつては「帝国海軍」と呼ばれていたが、大日本帝国の崩壊と共和国憲法発布により、「日本共和国海軍」と名を改めた。艦艇には「JRMS」(日本共和国海軍艦艇)の名がつく。
 全盛期には米英に次ぐ世界第三位の海軍力を有したが、1942年4月6日に生起したマーシャル沖海戦の結果、保有艦艇と将兵の大半を失い、一気に衰退した。
 戦後は慢性的な人員不足に悩まされ、退役年限の延長と若年層の飛び級(三階級特進というのも珍しくなかった)で打開を図ったが、その結果往年の技倆は著しく失われ、大規模な海軍再建は諦めるしかなくなった。

 艦隊は最新鋭の原子力空母「朱雀」をすべての中心として編成されており、「朱雀」の攻撃力をヘリ空母「瑞鶴」(マーシャル沖海戦に参加した空母中、唯一の生き残り)が艦載ヘリの索敵・哨戒によって支援し、その周囲を対空・対潜駆逐艦が固める、という形を取っている。
 従って艦隊の攻防能力はすべて「朱雀」が握っており、その脆弱性は戦前から幾度も指摘されていた。
 このほか、対潜哨戒機アトランティック(ATL-1)などの海軍航空隊を保有。

●保有艦艇(*は艦齢三十年以上のもの。モスポール中のものは除く)

原子力空母:
 「朱雀」
ヘリ空母:
 「瑞鶴」(*)
誘導ミサイル駆逐艦:
 「天津風」
汎用駆逐艦:
 「春風」型×2
 「照月」型×2
 「秋月」型×6(*)
防空駆逐艦:
 「高月」型×4
対潜駆逐艦:
 「綾波」型×7
 「峯雲」型×3
フリゲート:
 「島風」(*)
 「松」型×3(*)
posted by 早池峰山 at 11:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 組織 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「清算」略年表(〜1945)

1920年代:
 第一次大戦ののち、各方面で日米の衝突が起こる。
 世界恐慌以後日本はソ連に接近し、外交的結びつきを強化。
1931年:
 満州事変発生。翌年満州国建国。
1933年:
 日本、国際連盟から脱退。
1936年:
 ドイツから反ソ連を目的とする防共協定の提案。しかし日本はこれを拒絶。
1937年:
 盧溝橋事件発生。但し国境紛争に留まり、戦闘は数日で終結した。

1938年:
 スペイン内戦。
 このころ、ヒトラー政権下のドイツが勢力を増す。
1939年:
 旧宗主国スペインの動乱に刺激され、フィリピン内戦が起こる。
 親米政権の保守派と完全独立を求める独立派の内戦。
 日本は独立派の後ろ盾となり、日米関係は一時期極度の緊張状態に陥った。
 ハワイ条約の締結により、日米開戦は回避されるが、フィリピンは二国に分裂。
 また、独軍がポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発する。
1940年:
 ソ連領で作っていた日本の艦艇が続々と就役。
 フランスがドイツに降伏する。
1941年:
 独ソ戦開始。
 第二次フィリピン内戦。在ルソンの日本軍が越境・南進し、マニラを占領する。
 アメリカが日本への経済制裁を発動。
1942年:
 4月、第二次防衛戦争(マーシャル戦争)が開戦。
 開戦劈頭のマーシャル沖海戦にて、日米両軍とも全戦力の八割以上を失う。
 6月、第二次ハワイ会議。日米戦は二ヶ月で終了するが、主要艦艇をすべて失った日本は、南進策を諦めざるを得なくなった。
1943年:
 日本軍、フィリピンから撤収。
 ロシアでスターリングラードの戦い。
 また、中国で国共内戦が再燃する。
1944年:
 ノルマンディー上陸作戦。
1945年:
 ベルリン陥落。
 国際連合が結成され、日本もこれに加盟した。
posted by 早池峰山 at 02:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 略年表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月11日

はじめに

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 私はいま、この「清算」世界の1975年に発生したとある事件を、小説として書き起こそうと努力している。
 だが、我々とは異なる歩み方をしたこの世界は、必ずしも我々の知っている1975年ではなく、両者は非常によく似ているけれども、極めて重要な点で決定的な相違を見せることも稀ではない。
 私はこの異世界の物語を、こちらの世界に引き移して書くにあたり、我々の世界とは異なる部分、或いは同一である部分を、浮き彫りにする必要を感じた。
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